DEAI TEAM

出相チーム・スタッフ

心の喫茶室 by Otta Cliff

不動産とは何の関係もないコーナーですが、我々のニュースレターへ連載されて久しくなります。
当初、「宗教じみている」などの反感を買うのではないか?と、こういった欄をもうけることに戸惑いはありました。

私がこの「心の喫茶室」を始めた理由は、不動産エージェントである前に、ビジネスマンである前に、“人間としてこの世に生を受けた以上、正々堂々と気持ちの良い生き方をしたい”と考えたことにあります。
自分に対して大切なことを想い出させるため、そして、もしひとりでもこれらの言葉に慰められたり勇気付けられる人がいればと、紙面で共有させていただいております。

驚いたことに、何人もの方たちから「心に響く言葉をありがとう」、「自分の状況に照らし合わせて読んだら涙が出てきた」、「感動した」というお手紙やお電話をいただいています。私にとってはそういったお話はお仕事をいただくより嬉しく感じます。
事実、我々のニュースレターを愛読してくださっている方のほとんどが「心の喫茶室」を楽しみにされているというアンケート結果も出ています。

これらのメッセージは宗教とは何の関係もありません。我々が人間として毎日生きている上でつい忘れがちな“本当に大切なこと”を思い出させてくれる言葉の数々です。


 
Love Yourself 敵はいない
皆ここから始まった
しかる ・ 褒める 出切るか出来ないか、やるかやらないか
楽しむ 耳の痛い話
不平不満
心の傷 ガンコ
言葉のマジック 新しい一日
ENVY or JEALOSY? 途方に暮れたとき
陰口、噂話 気付き
信じる 生きる姿勢
なるようになる 勝ち負け
公明正大 学びか、逃げか、あなたはどちら?
調和 良い人間関係を保つ秘訣
コンフォート・ゾーン 強さ?
やられたら、やり返す? ギブ・アンド・テイク?
May 2007

「Love Yourself」


自分のことが嫌いで幸せな人を知っていますか?自分のことを愛せずに人を本当に愛せますか?
自分が幸せでなければ、周囲の人達の心を癒すことはできない。
自分を愛して初めて人を想い、人からの愛を受けることができる。

「でも、自分を好きになれない・・・」 私もずっとそうでした。
自分を愛するとは、“今の自分を、嫌な部分も含めて無条件で受け入れる”ことから始まります。好きにならなくてよいから、拒否せずに認めてあげる。「XXやOOのところもあるけど、それが今の自分だ」、それでいい。

ちょっとあなたも口に出して言ってみてください。
「XXやOOだけど、それが今の自分であることを受け入れます」。
そして、「自分には・・・という良いところもある」。

どうですか?何か気持ちが少し楽になったような気がしませんか?心が軽くなったみたいで、ホッとして微笑んでいませんか?
自分を受け入れることにより、自分の癒しが始まる。人を許せるようになる。知らずとスマイルが多くなる。これは幸せの根源。

愛は愛を呼ぶ 拒否は拒否を招く
自分を愛するということは利己ではありません。自分を愛するということは人を愛するということです。

この至福を、実感・実践したいものです。
March 2007

「皆ここから始まった」


 生まれたばかりの赤ん坊に出会った。

唇のピンクが透きとおっている。
もみじみたいな小さな手。
怒り、嫉み、悲しみ、を知らない寝顔。
私の目も心も引き込まれるようにその純真さに釘付けになっていた。

「皆ここから始まった」

一国の王様も、大泥棒も、ホームレスの人も、皆この純真な赤ん坊から始まった。
私のハートは、まだそのinnocenceに魅了されていた。

「人は愛を与えるために生まれてくる」
と誰かから聞いたことがある。

この赤ん坊は、私に大きな愛を与えてくれた。

果たして、私は、愛を与えているのだろうか?
January 2007

「しかる ・ 褒める」


しかられて嬉しいと感じる人はいない。自分のあやまちを非難されたとき素直にそれを認める人はほとんどいない。大概は、「でも、、だって、、」と弁解や自己の正当化をしようとする。そして、非難をした人へ憎悪の感情を抱く。
感情的にしかっている人のイライラを一時的に発散させるだけで、結果としては相手を不愉快な気持ちにするため、状況の本質的な改善は期待できない。

褒められれば誰でも嬉しい。自分を認められれば励みになり自信につながる。「もっと頑張ってみよう!」となる。そして、褒めてくれた人へは好意的な感情を抱く。
励ますことのメリット、それは失敗やあやまちをもポジティブに変え、希望を持たせること。褒める方も褒められる方も気持ちよく一緒に“和”のエネルギーを作り出す。

自分の周りにいる人たちのあら探しをせず褒められることを探す。人間は自分がポジティブな気持ちになったときに素晴らしい力を発揮する。ネガティブな気持ちから良いものは決して生まれない。

「褒め」のない「感情的なしかり」は全てをダメにする。
私も気を付けなくてはいけないこと。
November 2006

「楽しむ」


人生とは難しく辛いもの“苦行”だとずーっと思っていた。“なかなか思った通りに物事が行かないのは当たり前で、それに屈することなく耐え忍んで頑張る。そうしていればいつの日か努力は報われる”といった精神主義みないもの。

自分に厳しくなんて言えば格好が良いが、他人に対しても注文が多かった。「こうでなきゃいけない」とか「これは正しくてあれは間違っている」なんて、心の狭い主観的なルールを勝手に作って自分で毎日をつまらなくしていたような気がする。

「楽しむ?」なんて言われると、“蟻とキリギリス”のキリギリスみたいに後でしっぺ返しが来るもんだと思っていた。

そんなある日、身も心も疲れてしまっている自分に気が付いた。頑張れば頑張るほど空回りしてしまい、トンネルの先にいつまでたっても明かりが見えてこない。

「肩の力を抜いて、自然体で毎日を楽しめばいい」とある人から言われた。今を楽しく過ごすということの充実感を忘れていた。

“楽しんでもいいんだ!”と思えたとたん、前方に光が見えてきた。
September 2006

「不平不満」


私も含めて誰でも時折口にしてしまうもの・・・

不平不満って言っている時は、すごく楽なんです。つまり、物事がうまくいかないことを全て他人や周囲の環境のせいにしていればいいんですから。

「自分は悪くない」という慰め、「自分こそ被害者」という逃げ。その問題の打開策を考えたり、勇気を出して“自分にもできることがあるはずだ”、と焦点を自分に向けないんですから。そりゃ、無責任で楽ですよ。その場は。

それがクセになってしまうと、自分と正面から向き合えなくてアルコールやドラッグ中毒になっている人たちと同じで、文句を言っていないと落ち着かなくなる。そして、無意識のうちに不平不満を探そうとする。これでは、楽しい人生になるはずがないですよね。

嫌なことから顔をそらさず、気の進まないことに背を向けず、自分の進みたい方向を直視してみる。何をすべきかが明確に見えてくる。そして、自然と不平不満が消えて行く。
July 2006

「心の傷」


心に傷を持っている人は沢山いる。幼年期の体験だったり、家族との離別や死別だったり、信じていた人からの裏切りだったり。

心にある傷は目に見えないが、その人の言動に大きな影響を与える。引っ込み思案、躁鬱、かんしゃく、自暴自棄、等々。
何も知らない我々はそういった言動だけを見て、「なんて人だ!」と勝手なレッテルを貼る。イライラしたり、非難をしたり、仲間はずれにしたり、、、そして、その“見えない傷”はより深くなる、、、

足を骨折して松葉杖をついている人に「何をしている、走れ!」と言う者はいない。身体上の“傷”は見えるから。

心に傷を負っている人達は周囲にいる。自分の家族や友人かもしれない。我々がその“傷”に気付き、その他大勢と違った愛のある接し方をしてあげられたとき、初めてその“傷”の癒しが始まる。“Love prevails, always”

誰か心当たりのある人はいますよね。あなたの深い愛情でしっかり包んであげてください。それはあたなたの“傷”をも癒します。
May 2006

「言葉のマジック」


ポジティブに生きようとしても、いろいろイヤなことが起きたりすると誰でも怒ったり落ち込んだりしますよね。どうすれば、苦難に出会っても前向きな気持ちを保てるのだろう?とずっと悩んでいました。そんなときに素晴らしいことを学ぶ機会に遭遇しました。

嫌なことが起こって、「畜生!」とか「ツイてない!」と怒ったり嘆きそうになる瞬間、“ありがとう!”と言う。そう思えなくてもいいから、無理にでも“ありがとう!”という言葉を口に出す。何度でもこれを意識的に繰り返す。クセになるまで繰り返す。

どんな言葉が口から出るかで貴方の目の前の状況が変わり、貴方の心も変わる。逆に悪い言葉は状況も心もどんどん悪くする。不平不満ばかりを言っていた人が、“ありがとう”や“ツイてる”へ言葉を変えただけで人生が好転したという話を聞きました。

私もこの言葉のマジックを体験してびっくりしています。イヤなことが起こった後の展開が全然違ってくる。不思議なもので“運が良い”と言い続けていると、状況が自然と変わり運が良くなってしまう。

言葉そのものは生きていて自分の人生を創っていることを実感させられました。このことに気付けた私は本当に“運が良い”
March 2006

「ENVY or JEALOSY?」


Envyは人の幸運・能力などを見てあやかりたいと思う気持ち、Jealousyはそれが自分にないのは不当だとして相手を憎む気持ち” と辞書にある。

他の人が自分に無いものを持っているのを見て「いいなぁ」と思った時、自分も幸福になりたいと考えるか相手が不幸になって欲しいと考えるか、ともすると似ているようで実は全く違う反応である。

他人の不幸を願うほど哀れな生き方はない。幸福は手に入れるものではなく、すでに存在しているということを受け入れることから始まる。それを受け入れた瞬間に身も心も軽くなることが実感できる。心配事は全てなくならないけど、以前より笑顔が多くなる。人に優しくなれる。

心に平安が無い人ほど“物欲”が強い。“物”は一時的な痛み止めでしかない。心が伴わない“物”は、いずれ失う。

究極は「物心両面の豊かさ」ですよね。心を伴った努力で、“I envy you”と皆から言われる人生を築きたいものだ。
Jan. 2006

「陰口、噂話」


陰口や噂話は、人間として最も恥じるべき行為のひとつだと思う。

他人の陰口や噂話をする人で幸福な人はいない。自分で自分に毒を投与している悪い因果応報の典型。

私は陰口や噂話をしようとしている自分に気付くと、自分の顔を鏡に映して見るようにしている。自分の顔がとても哀れに見える。自分がされたらとても嫌なことを他の人にしようとしていた愚かさに赤面してしまう。

陰口や噂話をしている時の自分の顔を一度鏡で見てみるといい。それが本当の自分の顔なのか冷静に見てみればいい。

日々出会う人達のあらを探すのではなく、その人達の持っている素晴らしい部分を見つけてあげる。誰でも必ず何か輝くものを持っている。そして、それを探す生き方はいかなる人間関係をも大きくポジティブに変える力となる。

自分ももっと輝けますよ。
Nov. 2005

「信じる」


信じるとは、論理的な確証の無いことを真実だと思うこと。
神や仏は存在するのか?善行は報いられるのか、それとも正直者は馬鹿をみるのか?自分は幸福を手に入れられるのか?

人がそれぞれ信じていることの真否についての論議自体には何の意味もない。

不治の病にかかった人に“特効薬”だと言ってビタミン剤を投与しただけで急に容態が回復に向かったという話を聞いたことがある。

「信じる」ことには無限のパワーが秘められている。このパワーは、良いことであれ悪いことであれ、自分が信じていることを素直に呼び込む。つまり“何が本当か”ではなく、潜在意識の力がその人の信ずることを“本当”として創り出しているのである。

私は、”Life is Beautiful”だと勝手に信じているんです。

貴方は何を信じていますか?それとも何を信じたいですか?
Sept. 2005

「なるようになる」


“どんなに努力をしても結局はなるようになるさ”、ともすると投げやりな表現に使われがちな言葉。私は違った観点でとらえている。

自分の理念が自分の考えの基盤となり、その考えが自分の言動となって現れ、「なるべくしてなる」結果をもたらす。とても明解で論理的なこと。

“もしうまくいかなかったら。。。”、“どうせだめだろうけど。。。”などと頭の中で考えていれば、当然それは自分の消極的で中途半端な行動に反映される。そしてしかるべき結果が生まれる。

自分の現状に不満を感じているとしても、なるべくしてなったこと。これからの自分の将来も「なるようになる」んです。そして、どのように「なる」かは自分次第。

自分の理念と言動を客観的に見てみて、どのような結果を引き起こす生き方をしているかがわかれば自ずと自分の将来像も見えてくる。また、“こうなりたい!”という明るい未来をもたらすために自分の理念、考え方、そして言動を変える絶好の動機ともなる。

あなたは、どう「なりたい」ですか?
July 2005

「公明正大」


我々の日々の生活の中で、ちょっとした不正や嘘で自分の立場を優位にしたり、利潤を得られる機会は多々あるものです。

「誰だってやっていること」、「奇麗事ばかりを言ってられない」等、いけないことだとわかっていても“バレなければいい”と卑怯なことをしてしまった経験は誰にもあるはずです。私にも何度もあります。 他人が自分に同じことをしようものなら激怒することを、自分でも目先の欲に駆られてやってしまう。人間のあさはかな部分。

ズルイことをしているとき、我々は自分を見失っている。

自分を見失いそうになったら、まず心を落ち着けて自問してみる「自分の理想とする人物なら、この状況でどう行動するか?」
答えはいつも明白であることに気付く。つまり、自分の本性は絶えず正しい方向を知っている。ただ自己中心的な狭い心が、欲に惑わされて正しいことから目を背けさせている。

「公明正大」に生きるとは自分の本性に戻ること。違う自分になるのではなく、本来の自分に戻ること。困惑したらまず焦点を自分に戻す。そして答えを外に求めない。何故なら答えはいつも自分の中にあるから。
May 2005

「調和」


“全体がほどよくつり合って、矛盾や衝突が無くまとまっていること”と辞典にある。
本当の調和の意味とは、“人類、動植物、自然、この世の中に存在する全ての生きとし生けるものを進歩発展させようとする宇宙の意思”と同調することだと思う。調和とはただ単にその場の流れに合わせることではない。大きな観点から均整が取れ、万民の幸せへつながる共存共栄の流れを作り出す力であると言えよう。

“嘘をついても自分が有利になればいい、公害を引き起こそうが儲かりさえすればいい、現状維持で自分を高める努力などしたくない”、そういった姿勢は全ての物を進歩発展させようとする宇宙エネルギーの流れに反してしまう。

「調和」に反すると必ずどこかで歪が生じる。争いの原因になったり、自然を破壊したり、健康を害したり、等々。自己中心と調和は共存しえない。調和の反対、つまり自己中心的な考えを元に手に入れた富や地位は、その過程で生じた歪によって遅かれ早かれ必ず失う。これは自然の摂理。

自分の考えや言動が“調和”すると自分だけでなく周囲の人々の心も平安で満たされる。何故ならそれが我々の本性だから。
“うまくいったから、儲かったから、相手に打ち勝ったから”等々、この物質社会での得や勝に起因した条件付(外的)の喜びではなく、全く違う次元からもたらされる無条件(内的)の喜びが身体の中から湧き出してくるのが感じられる。

この喜びを知っている人は幸せだ。
March 2005

「コンフォート・ゾーン」


我々は皆自分のコンフォート・ゾーンを持っている。自分の育った環境や人生観によって作り出された“それなりに居心地の良い空間”。決して満足しているわけではないし自分の理想からは程遠いけれど、“努力”や“挑戦”などといった面倒臭いことをしないで済む空間。気が付くと自分の周りには似通った次元のコンフォート・ゾーンを持った人たちが集まり、無意識に冗談や愚痴を言ってお互いにその状態から外へ踏み出せないことを慰め合っている。何かがあって自分がそこから落ちそうになると焦って必死に這い上がる。しかし、一旦その空間へ戻るとその上の未知の世界へ踏み出す勇気は無い。

“コンフォート・ゾーン”という自分の可能性を遮断した檻の中にいる限り、何の変化も向上も無い妥協の人生。自分と周囲の人たちを幸福にする様々なチャンスや可能性に背を向けた生き方。率直に言えば、“生きているというより、死ぬのを待っている次元”といった方が合っているかも知れない。

私も意気地なしだが、「未知」を“恐怖”としてでなく“希望”と捉えて自分のコンフォート・ゾーンの檻から一歩外へ出る決意をした。自分のためにも、周囲の人たちを励ますためにも、死ぬのを待つ生き方でなく自分から“未知と変化”へ向かってチャレンジしてみようと思う。自分の道を作って行こうと思う。
Jan. 2005

「やられたら、やり返す?」


「言われたから、言い返す」、「殴られたから、殴り返す」。
一見勇ましく思える態度。しかし、いつものように「やり返す」前にちょっと考えてみよう。何故やられたのか?往々にして自分で“やられる”原因を作っていることがある。また時には、自分ではなく相手に問題があることもある。

悪いボールを相手から投げられたら、そのまま感情的になって同じボールを投げ返さずにちょっと考えてみる。どうしてこうなったのか?毒の投げ合いでお互いを泥沼へ引きずり込み合うのではなく、自分がどうしたら状況を良くできるか冷静に考えてみる。今までは強情に自分の過ちなど認めることなく反論ばかりしていたが、今回は相手を攻撃する前に勇気を出して自分の落度を認めて謝ることができるかも知れない。相手に問題がある場合、今までなら相手の非を責めて自分を正当化してばかりいたが、今回は相手を攻撃せずその非を受け入れて助けの手を差し伸べることができるかも知れない。

悪いボールを誰かから投げられても、良いものを返せる力を我々は持っている。争いを和平へ転換できる絶大な力。 今日はその力を実行してみよう。
Nov. 2004

「敵はいない」


世の中に「敵」は居ない。敵が居ると思うから敵ができる。自分にとって好ましくない言動を受けたとき「敵対行為」というラベルを貼るから敵ができる。

自分が相手を敵だと思えば相手もこちらを敵だと考える。相手がこちらを敵だと思っているときに、こちらが敵としての対応をしなければ相手もこちらを敵だと考えなくなる。

文化、言語、信仰、価値観、それぞれ様々ではあるが、「違いを越えた和」を尊重し相手と接すれば争いは自ずと消滅する。こんな当たり前のことができない我々が作り出した社会は争いに溢れている。自分で作り出した敵(恐怖)から自分を守ることに必死になっている。

現社会では、敵(恐怖)を作り出す事によって人々を扇動し、ごく少数の人達に都合の良い世界を築こうとする動きがある。恐怖を根底とした動機はさらなる恐怖を呼び込み、平和をもたらすことは絶対にありえない。

我々人類は、そろそろそういった次元の低い世界から卒業すべき時期に来ているのではなかろうか。
Sept. 2004

「力」


「知識は力なり」という格言がある。私は「行動」を伴わない限り“知識”は何の役にも立たない宝の持ち腐れだと思う。また、「勇気」の伴わない“行動”は中途半端な結果を引き起こすだけ。そして本当の“勇気”の支えになるのは「愛」。愛の無い“勇気”は時として人を無謀な行動へ駆り立てたり、自己中心的な目標に翻弄させる傾向がある。つまり、「知識」、「行動」、「勇気」、「愛」の4つの要素が揃って初めて「力」となりえるのであろう。

本当の「力」は全ての人々に幸福と平和をもたらす。そういった「真の力」の探求、そしてその過程を通して学んだ事を毎日の生活で皆と共有してゆく生き方は素晴らしい。
July 2004

「出来るか、出来ないか」、「やるか、やらないか」


「僕には無理だよ」、「私には出来ない」、又は「そんなの無理だからやめときな」などと自分に対してだけでなく人の夢や希望を挫くことを言う人がいる。この世の中の大方のことは「出来るか、出来ないか」ではなく、「やるか、やらないか」にあるように思う。「出来ない」と言う前に、自分と同じような、又は自分よりも恵まれない境遇で夢を達成した人がどれだけいるか考えてみればいい。そうすれば「出来ない」のでなく「やらない」から出来ていないことに気付く。そして「やる」ためには自分の中から湧き出る強い意志が必要。強い意志さえあれば、人間はなんとかして必死で方法を見付けるもの。

もし、「もっと仕事で成功したい」、「愛のある家庭を築きたい」、「芸術や音楽で人々を感動させたい」など、夢や希望を持ちながらもそれらを実現させる方向へ自分で積極的に進んでいないとしたら、“何が何でも絶対に!”という強い気持ちがないから。出来ないのではなくて、本気でやっていないだけ。何も複雑なことではない。とても単純明快。

言い訳ばかりして挑戦をしない。中途半端に「やってみる」けど本気でないからすぐに挫けて長続きしない。”Life is Short”、10年後は自分も10才年をとっている。今できることは今する。積極的に生きれば思ったとおりの結果が出なくても自分で自分のことを納得できる。言い訳はなくなる。
May 2004

「耳の痛い話」


つまり「図星」の話。自分でも内心わかっているが認めたくない短所や過ちの話。自分の落ち度を指摘されて“嬉しい”と感じる人はあまりいない。一般的な反応は、自分のプライドにキズが付かないように必死に弁解や言い訳をする。挙句の果ては怒ってみたり、攻撃的になったり、もしくわ「どうぜ私が悪いんですよ!」と開き直る。

一度、「耳の痛い話」を正々堂々と聞いてみればいい。逃げたり弁解しないで向き合ってみればいい。主観的にならずに客観的に聞いてみると、“なるほどそれも一理あるな”とか“確かにその通りだ”と納得できる事も多い。エゴやプライドを取り合えず横に置いて謙虚に向き合ってみると、思っていたよりも「痛くない」ことに気が付く。

「耳の痛い話」に耳を傾けるのには本当の勇気がいる。本当の謙虚さが問われる。そしてその勇気と謙虚さを持ち合わせた人は必ず報われる。

悪意による文句や中傷ではなく、善意による「耳の痛い話」をしてくれる人を大切にしよう。何故なら「耳の痛い話」は、する方も本当の勇気がいるからである。お互いを勇気付け合うような友人、夫婦、そして人間関係を築きたいものだ。
March 2004

「今」


我々気が付くと頭の中では絶えず「今」を通り越して過去と未来のことばかり考えている。先週の出来事、昨日のミーティングでの事、さっきの電話の内容、そして今日しなければならない用件の事、次の週末の事、何年も先の老後の事。すでに起きてしまった事やこれから起こるかも知れない、又は起こらないかもしれない事の心配を沢山している。

自分が生きているのは「今」だけ。先週の月曜日の午後3時もその時には「今」であった。これから5分後もその時になれば「今」である。生まれてから息を引きとる瞬間まで「今」がずっと続く。過去の経験から物事を学び、より良い未来を築くために実際に何か行動をとれるのは「今」だけ。後悔する過去があるのなら、心配する未来があるのなら、「今」を精一杯生きてみよう。そして自分が生きている「今」を共有している人々や周囲の環境を大切にしよう。

いつも見慣れている景色でも「今」この瞬間に存在する光景として眺めると、とても新鮮に感じる。それぞれの色、頬にあたる風、太陽の光、自然の香り、いつもよりも生き生きと感じられる。今まで気が付かなかった美しさに感動を受けると同時に頭の中の雑音が消えて行くのがわかる。

「今」に意識を戻すことにより心が落ち着き、後悔や心配が少なくなる。そして生き方に充実感が出てくる。
Jan. 2004

「ガンコ」


“あの人は頑固だから、一度言い出したらきかない”、“うちの親父は頑固だから、我々が何を言っても無駄だよ”

頑固を「意志の固いこと」のように美化した表現に使う場合がある。見方を変えれば頑固とは、視野が狭く、自己中心的で許容力の無いこと、の代名詞とも言える。自分の狭い価値観という殻から出ることを恐れて、新しいこと、違うこと、自分にとって未知のことを一切受け入れようとしない。新しいことを認めてしまえば、今まで築き上げてきた“小さな自分”を否定することになってしまうと、無意識のうちに怯えている。そして“小さな自分”を守る事に躍起になっている。

私は頑固な人と出会う度に、その虚勢の裏に隠れた恐怖におののく存在を感じて哀れに思う。自分と違う意見に耳を傾けること、自分の知らない事柄にチャレンジしてみること無しに人間としての成長はありえない。頑固、つまり「恐怖」がその人の本当の幸福のチャンスをことごとく潰している。そして、周囲との人間関係も難しくしている。

もし頑固を「意思が強く、一本筋が通っている」という意味で捉えるのなら、他人の意見を聞くこと、違いを受け入れること、に頑固になれば良いだろう。気持ちを大らかにして、正々堂々と、そして謙虚に生きていれば何も恐れることは無いのだから。
Nov. 2003

「新しい一日」


毎朝どういう気持ちで一日を始めますか?せっかく未知の可能性に溢れた新しい一日が始まったというのに、朝からため息をついたりしていませんか?今日一日のことを考えると朝から気持ちが重くなったりしていませんか?

毎朝目を覚ました時、「今日も自分が生きている理由があるのだ!」と考えてみてください。世の中には病気や怪我だけでなく、不慮の事故、犯罪、戦争、飢餓などで「今日」を迎えられない人が大勢います。自分が朝を迎えられたということは、今日一日を最大限有意義に過ごす義務があるのだと思います。

怒ったり、落ち込んだり、悲しんだり、不平不満を言ったり、人を傷つけたり、騙したり、、、、、そういったことをするために新しい一日は始まっていないはず。昨日嫌な事があったとか、今までの人生がこうだったとか、そんなやり直しのきかない過去のことで新しい一日を無駄にしてしまってはもったいないですよね。

昨日でも明日でもなく、「今日どう生きるか」に意識を集中させてみてください。今まで気が付かなかった何か素晴らしい事に出会えるはずです。
September 2003

「途方に暮れたとき」


“どうしようもない、どちらを向いても壁ばかり”と行き詰まることは誰の人生にも何度かある。

ある出来事や状況によって八方塞がりになったのではなく、出来事や状況によって八方塞がりの中で生きていた自分に気が付いた、というのが真相であろう。

「プラス思考」という言葉を耳にする。目の前に存在する問題を直視せずに“問題は無い、問題は無い”と現実から逃避して自分に言い聞かせてもダメ。問題が消えていないことに気付く度に全てが振り出しに戻ってしまうからである。これでは身も心も疲れ果ててしまうだけ。

自分の入っている監獄の壁に綺麗な絵を描いても壁はなくならない。心の監獄の扉に外から錠は掛からない。錠が掛かっているとしたら、それは自分が内側から掛けたもの。

私は途方に暮れると独りで夕暮れの海に行く。夕日の沈む水平線を見つめながら潮風で何度も思いっきり深呼吸してみる。心の奥に溜まったいらないものを全部吐き出すように大声で叫んだり、大声で泣いたりもする。そうすると心の監獄の錠が“ポロッ”と落ちる。今まで自分を閉じ込めていた錠。それを手にとって力いっぱい海へ投げて捨ててしまう。やがて、いつの間にか自分の周りの壁が無くなっていることに気が付く。そして再び自分の足で前に進む勇気が湧いてくる。

哲学でも理屈でもない。自分が大自然そして宇宙と一体であることを実感する瞬間。
July 2003

「気付き」


今日は昨日よりも一回多く、心から「ありがとう」と言ってみる。今日は昨日よりも一回多く、心から「ごめんなさい」と言うようにする。そして今日も通りすがりの見知らぬ人に自然な「笑顔」を投げかけてみる。

これは、イライラ、ハラハラ、カリカリ、クヨクヨ、の自分から脱皮する簡単で効果的な方法です。上記の3点を実行すれば誰でも一週間で幸せが実感できます。

もし、世界中の全ての人々がこれを一緒に実行したら、一週間で自殺する人が居なくなります。二週間で離婚率がゼロになります。三週間で犯罪がなくなり。一ヶ月で戦争と飢餓が地球上から消えます。三ヶ月以内に軍隊も警察も裁判所も刑務所も無くなり、法律の必要性すら存在しなくなります。

本当の平和をもらたすのは軍事力でも政治力でもない。我々ひとりひとりが心の中ですでにわかっていることを実行するだけ。他の人に親切にすると自分の気持ちが良くなる。それ自体がすでに平和と幸せの源。

何故か我々感謝することを忘れている。謝ることを怖がっている。そうして自分でどんどん難しく、辛くしている。自分で自分の首を絞めて「苦しい」と叫んでいる。誰のせいでもない。自分の首を絞めている自分の手を離してあげるだけ。それに気付くことが本当の平和と幸せの始まり。

気が付くのも自分。気が付かないのも自分。
May 2003

「生きる姿勢」


現在の自分の人生を見て、“こんなはずじゃなかった”と思うことがある。そういった時には外に文句の鉾先を向けても解決は無い。本当に気持ちの良い生き方を求めるのなら自分の中身を冷静に見つめるしか方法はない。

「現状」を作り出しているのは自分の「言動」であることにまず気付く。つまり自分の言動を変えなければ現状は変わらない。

「言動」は「考え方」の現れである。すなわち考え方を変えない限り言動は変わらない。

「考え方」の元となっているのは「価値観」。価値観を変えることによりのみ考え方が変わる。

現状の根本的改善には根源である価値観まで遡る必要がある。価値観を変えるということは、今までの「善悪」の尺度まで見直す覚悟と自分の「弱さ」にも正面から取り組む勇気が要求される。自分自身との立ち向かい。報酬は人生の究極的な充実であるのは言うまでもない。
March 2003

「勝ち負け」


「勝ち負け」が成立するためには「勝つ」と「負け」の双方が存在しなければならない。

それでは「勝つ」とはどういうことなのか?我々の住むこの原始的な物質社会では、決まったルール内で相手よりも多くの数字を出す、得点をえる、早くゴールに到達する、極端なケースでは肉体的に相手を打ちのめすこと、力で押さえつけること、等を意味するようだ。

私にとって「勝つ」の定義は、“学び、成長すること”。数字や力とは何の関係もない。この観点から考えると、相手よりも数字が少ないという結果から何かを学び、成長の糧となれば「勝つ」である。逆に、自分の方が相手より数字が多いことで謙虚さを失ってしまうと学びはなく「負け」となる。

本当の「勝ち負け」は表面に出てこない。目に見えるものだけで一喜一憂していると本質を見失ってしまう。

その文明の進化を知る上で、「勝ち負け」又は「成功と失敗」の定義がどこにあるか、が尺度になるという話を聞いたことがある。正しくその通りであろう。文明の高度に進化した社会では「勝ち負け」は成り立たない。何故なら「負け」が存在しないからだ。

“見えないもの、聞こえないもの、触れないもの”の価値に心の眼を向けられる生き方をしたいものだ。
January 2003

「学びか、逃げか、あなたはどちら?」


人生には様々な事があると人は言います。私は、様々な事を経験するために人生があると信じます。

良いことが起きた時には素直に喜び、そして感謝をしましょう。嫌なことが起きたときにはそのことから目を背けないこと。実際に起きてしまったことに背を向けても何の解決にもなりません。

「物事に偶然は無い。必ず意味があって起きている」

辛い経験は学びと成長の機会を与えられているのです。“この経験から自分は一体何を学ぶことが出来るのか?”と自分に客観的に問いかけてみること。正面から対処することにより、前向きの道が必ず開けます。そして自分が人間としてひと回り成長したことが実感できます。

嫌なことにはいつも背を向けた後ろ向きの生き方をしていると、いつまでたっても成長はありません。「何でいつもこうなってしまうのか?」「自分は運が悪い、ついていない」と愚痴や文句ばかりの辛く、つまらない人生を自分で呼び込む結果となります。

自分の生き方は家族や友人など周囲の人々へ大きな影響を与えます。自分だけの問題ではないのです。

せっかくの人生。大いに楽しんで、大いに学んで、正々堂々と最後まで生きたいものです。
Nov. 2002

「良い人間関係を保つ秘訣」


我々は無意識のうちに自分の価値観や考えに相手をはめ込もうとする傾向がある。これは何の役にも立たない自己中心主義の現れ。

「なんでああいう態度をするのだろう」、「どうしてこんなことが分からないのか」、「そんな言い方をしなくたっていいじゃないか」

自分のことを棚に上げて他人の“非”を探すのは皆得意。自分のイライラした対応が相手のそういった“不理屈”な言動をより引き起こしている場合があることなど気付こうとすらしない。正しくお互いのストレスを高めるだけの悪循環。こういった状況下では、人間関係は悪くなる一方で良くなるはずがない。

相手をそのまま受け入れること。「自分も彼と同じ環境で育ち同じ状況にいたら、同じような態度に出ていたかも知れない」と自分を相手の立場に置き換えて考えてみる。我々人間は誰でも「受け入れられたい」という強い願望がある。相手を変えようとするのではなく、まず相手を受け入れること。外的要因によって起こる変化は長続きしない。内的要因で自分から進んで変わるために必要なものは、周りからの理解と愛である。

自分が受け入れることが出来ない相手とは、イガミ合いをせずに距離をおく。

夫婦関係、親子関係、友人関係、会社での同僚関係や上司との関係、全ての人間関係に共通して言えること。

“ACCEPT, NOT EXPECT”
Sept. 2002

「強さ?」


本当の強さとは肉体的なものではない。本当の強さとは競争で他を打ち負かすことでも、自分の意見を他に認めさせることでもない。

本当の強さとは自分の非を素直に認めること。自分の弱さを認識して謙虚になること。「ごめんなさい」と心から言えること。私利私欲を超えて行動できること。

人前で涙を流すことは弱さの現われではない。泣いた後にニッコリと笑えることが強さ。

“本当の強さ”を持つ人間になりたいものだ。
July 2002

「ギブ・アンド・テイク?」


“こうしてあげるから、ああして欲しい”、“あんなに良くしてあげたのに。。。”

我々人間はつい自己中心的な考えになり、自分の行為に対して相手からの見返りを求めてしまいます。しかし、見返りを期待する交換条件付きの行為に本当の善意はありません。結局は自分への利益を根底とした偽善にすぎないからです。

無償の行為を他人に行った時に与えられる「心が気持ち良い喜び」を感じたことはありますか?
無償の行為をすると(Give)自然の摂理によって「心の喜び」という最高の報酬を受けます(Receive)。“Give and Take”ではなく、“GIVE AND RECEIVE”です。

あさはかな「目の前の損得」に惑わされず、もっと大きな観点に立った「心の喜び」の素晴らしさを体験してみて下さい。あなたの人生がより一層輝くはずです。