カリフォルニア州の日系人の歴史で何度も耳にしたこの地を訪れたいと思っていた。
アメリカ在住35年目に入り、やっとその機会があった。
日系アメリカ人が収容された10か所の収容所の中で最も名が知られている場所。
日本海軍による真珠湾攻撃の3か月後1942年3月に開設され、終戦後の1945年11月に閉鎖されるまで、
1万人を超える日系人たちがここに収容されていたそうだ。
Sierra Nevada山脈の麓の広大な荒野。谷の地形で帽子が飛ばされるほどの強風。
決して居住に適した環境とは言えない。
当時の建物などは無く、その跡地には慰霊塔があった。
80年ほど前に、大勢の日系人の先輩たちが、財産も仕事も失い強制的に集められ生活をしていた血と汗と涙の地。
「どういう気持ちでこの山々を見ていたのだろうか」
その地に立ちながら感慨深い思いになった。
収容所が閉鎖されたとき、行き場がなく途方に暮れた人たちが多かったと聞く。
アメリカを第二の祖国として生きる私。
慰霊塔の前で、厳粛な気持ちで両手を合わせた。