
全く異なる意見を前にして、私はこう反応していた。
「えっ?何を言っているの。それは間違っている」
異なる見識に耳を傾けず、自論を押し通す未熟さがあった。
言われた方は当然気分を害し、反論をする。
これはコミュニケーションではない。
視野の狭い自己主張の衝突にすぎず、生産性のない論争だ。
「違い」から逃げず、争わず、共存できたとき、人生は広がる。
それは同時に、自己成長のプロセスでもある。
人は、幼少期の環境の中で
どう安全・安心を得たか、
どう仲間をつくったか、
どう評価や報酬を得たか、
その積み重ねによって、事実認識や価値観、優先順位を形づくる。
意思の疎通は一方通行では成立しない。
自我をいった横に置き、反論も説得もせず、まず理解に徹する。
「どういう理由でそう考えますか?」
「どうなれば良いですか。何が困りますか?」
「最も重要なことは何ですか?」
—— 話を聞いてもらえると、人は「敵ではない」と感じる。
「それは大変でしたね。辛かったでしょう」
「よく頑張りましたね。やっと安心できますね」
—— 感情に共感されると、防衛は和らぐ。
「つまり、○○だから△△となったのですね」
—— 言い分を理解してくれると、信頼が生まれる。
「もし○○だとしたら、別の見方もありそうですが、どう思いますか?」
相手が「敵ではない」と感じ、自分の話が受け止められたと実感して、
初めて異なる意見は届く。
これは単なるテクニックではない。
「分かり合いたい」という真意が土台にある。
手法として使えば、その意図は必ず見透かされ、関係は崩れる。
私は本当のコミュニケーションを学び続けたい。